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August 0682004

 吾がかむり得ざりし角帽夏休み

                           杉本幽烏

前の句だろうか。おそらく作者は家庭の貧しさのために、勉学心はあったが、大学に行くことを断念したのだ。友人知己の誰かれが都会に遊学していくなかで、地元に残って働いている。往年の「角帽」はエリートの象徴みたいなものだったから、「夏休み」に帰省してくる学生たちの帽子は、よほど目にまぶしく沁み入ったにちがいない。羨望の念もあるだろうが、嫉妬のそれもある。そうしたコンプレックスを押し殺しつつ働く作者には、彼らの屈託のない態度も逆に辛い。大学生になった息子の角帽とも読めるが、こういう夏休みの捉え方もあったのである。さらりと読んではいるけれど、それだけに作者の哀感がしんみりと伝わってくる佳句だ。いまでは応援部くらいしかかぶらなくなった角帽だが、私が入学した昭和三十年代前半期くらいまでは、なんとかまだ生き延びてはいた。とくに新入生は、すぐにかぶらなくなったにせよ、求めなかった者はそんなにいなかったのではあるまいか。もはやエリートの象徴などとは思わなかったが、なにせ丸刈り頭に詰め襟の学生服を着ているのが普通だったので、高校時代の延長のような気分もあったと思う。帽子をかぶらないと、なんとなく落ち着かなかった。しかし、やがて丸刈り頭や学生服が廃れてきたことで、学帽も姿を消すことになる。だから、この句の味がわかる人は、ある程度の年代以上に限られてしまうだろう。『俳句歳時記・夏之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)




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